バゼットによるエイミ召喚シーン。


 ◇ ◇ ◇

 冬木の街に入って一週間が過ぎた。協会から監視役として派遣された私は、今、用意されたホテルの一室でサーヴァントの召喚を行おうとしている。
 用意したものは逆さの樹を刻印した聖銀の大板。補助として死者と知識、守りのルーンが刻まれた輝石。そして、ルーン石のピアスと折れた槍の刃と柄の一部だ。それらの下に私自らの血で描いた魔法陣は、召喚の命を受け、生命の位階を突き抜ける。
 万が一にも失敗は許されない。ここまで大掛かりな仕掛けを用いたのは、特定の英霊を呼ぶためだ。
 狙うのは、およそランサーであると目されるアイルランドの光の御子、クー・フーリン。かつて女神スカアハから伝授されたその戦闘技術と、現代でも語り継がれる勇猛さを誇る武勇の数々はこの聖杯戦争においても他サーヴァントを圧倒するだろう。そして何より、私の任務に必要であるマスター、サーヴァント間の信頼関係が構築し易い。彼は誓いを命と等価に置く英雄だ。ゲッシュという性質を考えれば、私が裏切らない限り、彼が私を裏切ることはない。
 ルーン石のピアスが本命であり、その補助としてかつて彼が用いたとされる槍を協会から持ち出した。これだけの関係性を用意して、引いて来れないはずがない。

 全ての準備が整い、時間が午前零時に至る。懐中時計の秒針の運行にあわせて順次魔術回路を起動させる。そのリズムに精神を埋没させ、意識の深層へ至る淵へと手を掛けた。さて、始めようか。

「――――Dive.」

 自意識と無意識の狭間に在った己の仮想人格をそのまま落とし込むように無意識の深淵へと墜落させる。同時に魔術回路を戦闘域まで稼動。肉体を遠くに感じる。私はこの瞬間、人で無くなった。
「無に灯れ。頂きの蔵より出でよ。王冠、知恵、理解を経て天を得よ」
 私の紡ぐ呪に併せて中央に鎮座する銀色の生命の樹、その根の頂点に青い原色の炎が灯る。今、召喚陣は無限光、アイン・ソフ・オウルへと繋がった。縁が強いせいか、目的の英霊を易々と掴み上げ、そのまま下界へと降りる。炎はその運動をトレースするようにケテル、コクマ、ビナーのセフィラをそれぞれ灯し、至高の天を象った。ランサーの英霊、その魂がデータ化され、順次生命の階位の低い世界へと適応していく。
「隠者の袂を暴け。慈悲、対立する峻厳、真中に届いて調停の美を抱く」
 深淵を穿つ。隠された叡智を擬似的に暴く。それを以って流出の速度を加速させ、英霊をより物質界へと単純化させる。ケセドを通り、敵対するケブラーを通過し、調整を持つ中庸の御柱にてティフェレトに至った。それを青炎が追う。
 ――――……っ。
 流石に、きつい。十二重の精神防壁を展開し、守りのルーンで強化してあるというのに、それらを易々と貫いて私という仮想人格を侵す数多の霊圧と情報の波、波、波。大海に浮かぶ木の葉の方がまだましだ。気を抜けば即座に持っていかれる。
「勝利に至れ。栄光を築け」
 そろそろ物理界にある肉体の感覚も消滅した。ライフラインとして繋がっているパスだけが頼りとなる。その状況に、生命として正しい焦燥が浮かぶが、そんなもの今はノイズにしかならない。危機感を思考からカット。
 その行為に生存本能が悲鳴を上げるも、それも掌握、制圧して次の界に至る。魔術師とは、己を制御する者だ。この程度のことができないのなら、一秒でも早く死んだほうが良い。
 その間にも呼び出している英霊はネツァクへと進行する。そしてそこからホドへと入った。
「膨張せよ。収縮せよ。……万物須らく満ちる基盤を手繰り、罪業と象徴をして命火を燃やせ」
 ついにイェソドへと至る。万物の基盤、魂の階位である此処は、物質界であるマルクトの直上だ。
 召喚成功まで、あと、一つ。防壁ももう持たない。
 だが、焦るな。ここで失敗したら私も帰還できない。そしてなにより、失敗など私の魔術師としての誇りが許さない。
「循環せよ。三叉の経路を巡り満たせ。三柱に伝い、雷に乗り、来たれ、王国へ」
 そして最後の詰めに入る。王国に届く三つの経と基盤に繋がる三つの路、その全てを循環し、生命の密度を凝縮し、その過程を以って英霊は霊質としての身体を得る。巡れ巡れセフィロトを巡れと、こちらも同調して回路を廻す。
 右に在る慈悲、左に在る峻厳、そして中央を貫く中庸の三柱全てを満たし、そのまま――――、
「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
 生命の樹を伝うマナの流れに載せて、マルクトに落とし込む。同時、既に消失していたはずの肉体感覚が、さらに上書きされるかのような錯覚を訴える。身体が高密度なマナに満たされ、塗り潰されていく。
 ――――……っ、……っ……。
 肉体が否定する。これは私ではない。これは人間ではない。これは生き物ですらない。神経系から脳髄、脊椎脊髄臓器に骨格、あらゆる全てが現状にそのような異議を唱えるが、それでも。
 その全ての拒絶と充足を、最大限の意志力を以って呑み込んだ。
 次いで、灼け尽く炎のような痛覚が身体中いたるところに湧き上がるがそれも無視。或いは痛むリズムさえ同期させ、回路稼働率の更なる上昇を促す。右腕の魔術刻印も痛み出した。
 ……繋げよ。もう一度、深淵へ。
 英霊が一度通ったセフィラには既にパスが通っている。そこに、もう一度、座からデータを通せば完了だ。それで陽と陰が引き合うように、因果の雷が落ちる。
 回路の稼動による灼熱の痛みが全身の神経を這い回る。神経に通るマナは沸騰した血液に近似した。その茫洋として果ての無い熱量の中、未だ生命の樹の中を漂う仮想人格の私の身体を私自身が真っ白な閃光で貫く。その閃光の鋭さと痛みと伸び往く先に、目指す座があるのが見えた。
 その瞬間、これで至ったと確信した。
 ……さて、仕上げだ。

「――――Drive.」

 回転し続ける魔術回路の稼働率を限界まで引き上げる。マナを可能な限り高純度の魔力へと変換し、それとともにパスを通していただけの召喚陣、その全機能を起動させた。
 回れ、英霊の魔法陣。私はこの瞬間に、全ての力を注ぎ込もう――――
「――――告げる。
 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
 言霊と同時に暴風。荒れ狂うのは光と影と第五の要素。既に私の視覚は閉鎖している。だが目前の樹と同調している分、私は精密に、そして暴力的なまでの速度で召喚陣を回し続けられる。今何が起こっているか、手に取るように判る。
 ……もっとだ。さあ、行け。
 応えるように、私に同調していた生命樹の銀盤がその全容を浮かび上がらせる。10 の円、3 つの柱、22 の経が魔力の光を帯びて輝きだし、各円中央に灯っていた 10 の火の子らが覚醒する。擬似的に各セフィラの守護天使を代理する。
 そして、王冠から王国へ。青い炎が逆さの樹を疾走し、一度通された路に沿って全ての位を貫通する。そのジグザグの様は、至高に頂く神の雷の再現だ。青い炎に代弁され、逆さの樹から今此処に、
 ……祝福せよ、天使たち。偉大なる英霊の復活を――――

「誓いを此処に。
 我は常世総ての善と成る者、
 我は常世総ての悪を敷く者。
 汝三大の言霊を纏う七天、
 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――」

 ――――青い雷火が、落ちる……!

 轟音と爆光。そして何かが目前で具現した際の強烈な存在密度の増加。
 状況としては間違いなく成功。手応えとしては申し分など何も無い。私の生涯で最高の出来がこの瞬間に来たかとも思えるほどの成功具合だ。
 だが、何か。どうしようもなく違和感が、いや、嫌な予感がする。
 ……落ち着け、バゼット。そんなことは無い。あるはずがないじゃないか。準備は抜かりない、術式は完全、手応えは完璧だ。これで何か間違いが起こるほうが間違っている。だいたいだ。聖杯戦争におけるサーヴァントの召喚は聖杯のバックアップが既にあるんだ。なのに失敗なんてするはずがない。ならば、ほら、どう考えたって大丈夫じゃないか。
 そうやって自分をなんとか平常に戻そうとするうちに、視覚が元に戻り始める。そして戻るにつれ私の嫌な予感はさらに増していった。
 ……何故だ。どうしてこんなに嫌な予感がする。
 自分自身にある意味不明な感覚にどうにも戸惑ってしまったが、しかし。もう視覚がほとんど戻っているのだ。ならば私が呼んだサーヴァントの姿を見れば良いだけのこと。きっと次の瞬間には「なんだ、空騒ぎか」と胸を撫で下ろすに決まっている。
 そして視力が完全に戻り、私の目の前に表れたのは人間の形をした人間以上の存在。その圧倒的な力の具現。……これは、たしかにサーヴァントだ。
 と、ほら、やっぱり。私の思い違いじゃないか。馬鹿馬鹿しい。現に此処にサーヴァントが召喚されているのだ。何も間違ってなどいなかった。
 人の形をした人の枠を超えたもの。その存在感だけで圧迫される桁違いの魔力量。召喚陣の起動中、私とて高濃度の魔力に晒された身だが、それもこの存在の前では吹けば飛ぶに違いない。アーティファクトとしての聖杯、その機能を十全に用いた人では届かぬ奇蹟の具現が、今、目の前に居るサーヴァントという存在である。
 形式はたしかに使い魔に似ているが、その本質は程遠い。あれは抑止力の代行者だ。かつて人でありながら人を超越した、精霊の領域に踏み込んだ化け物である。
 そして、この目の前のサーヴァント。見事なまでに人間であり、やはり人間ではなかった。上半身は胸部が女性用にしつらえてある鉄灰色の軽甲冑を着こなし、股から下、特に太腿は動き易いように素肌を晒している。膝に至って下は上半身のものと同じ素材のグリーブになるが、それも走破性を貴重としたものだ。この者の戦闘スタイルが伺える。その身を鎧う全てのものは膨大な魔力で編まれ成立していた。
 容姿は凛々しく、どことなく猫の目を思わせる緑の瞳に真紅を帯びた髪がよく似合っていた。肌は黒くもなく、白くもなく、健康的な肌色だ。それがとても人間らしく、またそれに纏われる甲冑の鋭さがまるで場違いにも思え、絵本の世界の住人に見えた。いや、違う。だからこの者はサーヴァントなのだ。まさしく絵本の中で活躍するような英雄なのだから。
 そして、その右腕には燃え盛る火焔をそのまま凝固させたかのような深紅の槍が携えられている。見るだけで判る。アレは違う。人の世界の常識を超えた物だ。その一振りからいったいどれだけの破壊が撒き散らされるのか、まるで測定できない。槍騎士、その悠々とした立ち居姿は赤の一線を隣人にすることにより、正しく戦う者を表していた。その様、憧憬を覚えるほど立派である。そう立派であった。立派も立派、その甲冑の上からさえ窺い知れる胸まで立派なじょせいのさーば、…………え……?

「――――問おう。貴方がわたしのマスターか」

「あ、え、ええ。そうですけども……」
 半ば呆然と応えた瞬間、ガチンという耳障りな幻聴とともに左手に灼け付くような痛みが走った。見れば、冬木に特有の令呪がそこに三画で描かれている。
 そのことに勘付いたのか、目の前の女性は私の左手にある令呪に目を留めた。だが私はまだ状況が飲み込めていない。

「……確認した。これよりわたしは貴方の槍だ。貴方の身体、貴方の魂、貴方の精神その全て、わたしが未来へと貫き通そう。――――共にあれ、メイガス」

 契約の言葉が凛と響く。此処に、誓いは立てられた。
 思い知る。その言葉がどれだけ真実を帯びているか。およそこれから、私が裏切らない限り、彼女は私を裏切らないだろう。
 これを誓約と。古来、人は呼んだのだろうか。なにもかもに魅せられる。私の生きてきた世界とはあまりに遠いその真摯さは、だが確実に、私の至近において具現していた。
 その経験の無い純粋さに、やっと頭が回り始めた。
 ……半分がまだついてきていなかった思考を完全にクリア。事実を認識しろ。状況を把握しろ。分析せよ、解析せよ、なにもかもをその手中に収めよ。私は、魔術師である者だ。
 そうして自分を確立した上で、私のサーヴァントに問い掛ける。
「サーヴァント、ランサー。間違いないな?」
「ああ、その通りさ。……にしてもアンタ、見るからに上等な魔術師の割には、妙に素っ頓狂な顔をしてたな? それとも、あれが素なのかい?」
「そんなわけないだろう。召喚したサーヴァントが女だということ少々驚いた。それだけさ」
 痛いところを突かれた質問を、なるだけさらりと受け流す。あちらは既に意気揚々といった感じだが、私の方はまだ本調子ではない。それほど、呼び出したサーヴァントが予定通りでなかったことに戸惑っていた。
「ランサー、お前のほうこそ、先程、宣誓のときにはさも騎士然とした厳格さだったというのに。なんだ、その砕けた調子は」
「あっはははは、そうだね。あたしの素はこっちさ、マスター。さっきは契約の宣言だったしな。堅苦しいのは嫌いなんだが、あれはあれで気が利いてたろう?」
 ……どうやら、この者が女性というのは本当で、クー・フーリンではないのも本当のようだ。セサンタの頃から男性、青年と明記されているクランの猛犬が女性というはずは無い。携えている槍も、協会の資料で見た魔槍ゲイボルクとは違うようだ。
 認めなければならない。私は、クー・フーリンの召喚に失敗し、別の英霊を召喚してしまった。だが、そんなことよりも。
 ……失点だな。うろたえるなどと。
 切り替えろ。召喚そのものは失敗していないのだ。ならばこのサーヴァントと私で聖杯戦争に臨むしかない。
 さて、ではやるべきことをやろう。意思の疎通と本来の意味での主従の契約だ。
「そうだな。あれにはこちらも思うところがあったさ。英霊なんていう私にとってみたら怪物じみた存在に、こうも信頼されているのだな、と」
「何言ってんだい。当たり前だろう? アンタとあたしはこの戦争を勝ち抜くための、云わば仲間じゃないか。それとも今更、魔術師としての実力が高そうだとか、このマスターならば聖杯戦争にも勝ち抜けそうだとか、安心して背中を任せられるとか、
 ――――そんなわかりきったことを、あたしの口から聞きたいのかい?」
 ともすれば射すくめるほどに苛烈な眼光とともに言い放ったその言葉。なるほど、半分は本当だろう。だが、もう半分は、私を試しているのか。
 こちらから折れてやろうかとも思っていたのだが、……いいだろう。私というものを理解させてやる。
「――ほう? ランサー。貴様、目前の者の力量も測れぬほどに劣悪なサーヴァントなのか? では、そんなものは要らんよ。早々に魔力と主を捨てて逃げ出すがいい」
 私の言葉にランサーの気配が変わる。先程まで在った圧力など比ではない。ともすれば殺意に転化するほどの敵意を漲らせた威圧を向けてくる。
 その侮辱、許せるものではないとでも言うように。
「へぇ? そうかい、マスター。アンタ、もうサーヴァントを呼べないんだろう? それともアンタ、ただの自殺志願者だったのかい?」
 放たれる挑発。言外に弱者よ、跪いて自分を頼れと言ってくる。ランサーにとって、先の私の言が許せるものではないというのなら、私にとってはこれこそ、許すことなどできはしない。

「言うものだね、ランサー。たしかに私にはこれ以上新たなサーヴァントは呼べんさ。だが、それがなんだというのだ。騎士の闘争だと? 英霊の戦争だと? 笑わせる。その程度の地獄、今まで吐いて捨てるほど渡ってきた。

 ――――舐めるなよ、サーヴァント。

 この身は禁忌に触れた人外の輩を捕縛し、封印するための血の鎖だ。己が限界を制圧し、業を以って禁忌を蹂躙する魔術師だ。たかだか戦争の一つや二つ、この身一つで駆け抜けてみせよう」

 目前の侮りに向け断言する。お前の身は何か、お前の主は何者か、お前の全ては何のためにここにあるか。その全てを知らしめるために、支配者として宣言する。
「私の槍というのなら、ランサー。その全霊を掛けてついてこい。遅れを取ることなど許さん。
 ――――この戦争、私が掌握する。共にあれよ、我がサーヴァント」
 忠誠せよ、と。ランサー、お前の忠誠に足るものは正にここに在る、と。そう言って、こちらから宣誓した。――この、冬木の戦いを支配する。
 同時に、彼女と繋がっているラインを通し、全力で魔力を迸らせた。オーバーフローを度外視した魔力供給。召喚直後の無理な稼動に回路が悲鳴を上げるが、その苦痛をも不敵な笑みに変えて顔に載せる。
 それに、ランサーは、
「――く」
 何か猛るものを堪えるように一度顔をしかめ、――爆発した。
「くく、あっはははははーーーー! 最高だ、最高だともマスター。あたしは幸運だっ! アンタという最高のマスターを引き当てたっ! この戦争、勝った……!」
 そうして一頻り笑ったあと、彼女は不意に真面目な顔をしてこちらを向いた。
「いや、すまないね、マスター。さっきの不敬を詫びるよ。あんたは最高だ。……いや違うか。その気概をして最強なんだ」
 言うや否や、深紅の槍を頭上で回して、そのまま床に石突きを一つ。抜けるような青空を思わせる最高の笑顔で右手を差し出してきた。
「サーヴァント、ランサー。真名をエイミ。今は無き神界ヴァルハラにおいて戦乙女レナス・ヴァルキュリアとともにラグナロクを戦い抜いた、エインフェリアが一だ。神代の戦争を生きたあたしの実力、見せてあげようじゃないか」
 その右手を、誠意を込めて握り返す。たしかにクー・フーリンの召喚には失敗したが、彼女となら上手くやっていけるだろう。義に厚いというのは見て取れる。私にとっては信頼できる相棒というところだ。
「魔術協会所属、魔術師バゼット・フラガ・マクレミッツだ。ランサー。これから先、頼りにしている」
「任せておきな、バゼット」

 ――――そうして私の聖杯戦争は幕を開けた。現在、私の参戦を知っているのは監視役である言峰だけ。さて、どれほどの外道、同類どもが集まってくるのか、楽しみだな。



 ps. ―― 30 分ほど経った後。

「なあ、マスター」
「なんだ、ランサー」
「召喚直後のことなんだけどね。アンタ「あ、え、ええ。そうですけども……」なんて妙に乙女ちっくなこと言ってたんだが……、もしかして、それが素かい?」
「――――っ! な、なんのことでしょう、ランサー。わたくしは、そんなお嬢ちゃんじゃなくてよ?」
「ほら、今も」
「――――っっっ!」
 ……しまった。思わず言葉に詰まる。
 しかし、ランサーはそんな私を目ざとく見つけて、
「ははあん。なるほどね? アンタも苦労してるんだねぇ、バゼット」
 なんて言いやがった。その表情は恰好の獲物を前にした猫科の笑みに似ている。つまり、彼女はこれをダシにして私をからかう気満々なのだろう。
 ……幻痛を感じて額に手を当てる。
 また、やってしまった。命掛けの闘争、その最中ならばこんなことはないが、ふとした拍子に気が抜けるとどうしても一瞬素に戻ってしまう。自覚が後からやってくるのもいただけない。どうにかしなければならないのだが、過去幾度矯正しようともどうにもならなかった。
 だがまあ、今はとりあえず直す直さないは置いておく。それよりもまず先に、眼前で未だニヤついている我がサーヴァントをどうにかしなければなるまい。このままだと今後の戦略行動に支障をきたす。そしてそれ以前に、マスターとしての威厳が著しく損なわれること甚だしい。
 …………いやそれよりも。
 私自身の尊厳が貶められるというか、平たく言ってみくびられるとか面白がられるとか可愛がられるというのが我慢ならないっ!
「……ランサー」
「なんだい、マスター?」
 全身あらゆる場所から掻き集めた意志力を総動員してランサーを睨みつける。しかし、一流の魔術師も裸足で逃げ出すほどの怒気を視線に載せるも、ランサーはさも可笑しそうに口元を歪める笑いをしているままだった。
 それがどうにも癇に触る。
「今後そのことを口にしてみろ。そのときは……」
「へぇ? そのときは?」
「そのときは仕方が無い。令呪を使うとしよう」
 その私の言を聞いてさらにほくそ笑むランサー。まるで待ってましたと言わんばかりに表情を小悪魔めいたものに変え、勢い良く言い放った。
「はっ! 浅いねマスター。第一使うとしてどんな命令をするつもりだい? 令呪ってものはね、広範に渡る事象には効きが弱いんだ。例えば、聖杯戦争の期間中ずっとあたしの言動を物理的に封じるとするなら、令呪三個程度じゃ到底――」
 勝ち誇ったように令呪使用の不備について語るランサーの言を終わりまで待たず、私は上から圧し重ねて言い切った。
「わかっているとも。だからもちろん、命令はこうだ。
 ――ランサーエイミの恥辱たる秘密を一つ、己のマスターに話す――」
「足りない、え、……なっ!?」
「どうだランサー。これなら単一行動に対する強制命令だ。よほどの力が無いと跳ね除けられんぞ?」
「っ! な、マスター、それはきたな……っ」
 流石に粟を食ったのか、ランサーの顔色がひっくりかえる。今まで余裕の笑みでこちらをからかっていたのに思わぬところで立場を逆転されて思考がついていってないのだろう。目を白黒させながら青くなった顔をこちらへ向けている。
 ふん、良い気味だ。舌戦で魔術師に敵うと思うからこうなる。
「ランサー、お前は私の秘密を既に知っている。等価交換にしては破格だろう? なにせ、私の秘密に加えて令呪一つと交換だ。成り立たないはずがあるまい」
 そして、止めとばかりにもしこれを行ったならば十割で成立確定ということを告げてやった。加えて、出来うる限りの悪魔の微笑を差し向ける。
「……くっ。わかった。わかったよ、バゼット。もう言わない。約束する」
「ああ、ありがとう。さすが私のサーヴァントだ。物分りが良くて助かる」
「ちっ。何が物分りだ。あんなもの脅しじゃないか」
「何を言うランサー。交渉と言って欲しいものだね。第一、初めはそちらが仕掛けてきたんだろう?」
 その悔しそうな顔を見て、やっとこちらの溜飲も下がった。このへん、最初のうちに徹底しておかないと後に響くだろうし、これでランサーが私を変な目で見ることもあるまい。まあ、ほとんど私自身の自己満足に過ぎない上に、多少大人げなかった気もするのだけれど。
 さて、では今日のところは休むことにしよう。召喚から契約、口論まで、少し気力と魔力を使いすぎた。明日に備えて眠る旨を伝えるために、まだ少し不貞腐れた顔をしているランサーに声を掛ける。
「ランサー。私はこれから眠る。何かあったら起こせよ。――明日は、他のマスターを見に行く」
 私の言葉から他のマスターという単語を聞き取って、ランサーの雰囲気が一変した。既に先ほどの英霊らしからぬ色は無い。戦場に赴く戦士の表情で、こちらと目を合わせる。
 女豹を思わせるその好戦的な姿勢が、彼女の本分なのだろう。やはりこちらの方が、契約の折の厳粛さよりも似合って見えた。
「ああ、了解だ、マスター。ゆっくり休みな」
 彼女のその言葉を最後まで聞いてから、私はベッドルームへと入った。どうやら、いくつかの失敗を抱えているわりには私達は上手くやっていけそうである。
 ああ、そういえば。何故彼女が召喚されてしまったのだろう。失敗のうち最も見過ごせないものはこれだが、その原因が判然としない。召喚式そのものに不備は無かった。
 だが、まあ、それも些細なことではある。現在において殊更に不安や不足を感じていないのは事実であるし、何より彼女の気さくさは、多少過ぎるとはいえ安心できた。何においても元々狙っていたクー・フーリンと比べても特別に劣る点はないだろう。
 ……なんだ、なら問題ないじゃないか。
 私は各々の失敗を瑣末と結論して、疲れた身体を少しばかり華美なシーツへと滑り込ませた。そして直に心地よい眠気に頭が満たされ、私は夢現の淵へと誘われていった。

 ◇ ◇ ◇

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