揺れる馬車。
 男一人と女一人を乗せたそれは、平坦な街道を走っていく。
 車輪は、音を立てて回っている。



 どうにも思考が錯綜迷走回送中だ。逃走しないだけましではある。或いはそれさえできないほど無様なのだろうか。
 何かに熱中することが、現在、できない。しかし、多忙というわけではない。気が乗らないという表現が最も適当であるとは思うが、ならば何故気が乗らないのかというと、それ自体が判然としない。それこそ、なんとなく、と結論してしまいたくなるほど。
「……っ」
 ……呆れ返る。なんとなく、などとはどの口が言えたことだろうか。理と戒律と秩序を奉ずる神の使徒が、なんとなく、とのたまうこの状態。怠惰、或いはそれは、倦怠感というのではないのか――。
 もしくは。
 術理を信望し、その探求に全てを捧げる魔術の輩が結として解答するものとしては、最悪を通り越して笑いものだ。
 だが。
 ……『なんとなく』、か。
 それは観点を変えれば、起こりうる全ての可能性を因果律に沿って統合した結果、運命の羅針盤の上に指し示された、人智にして未踏の域の座標点なのではないだろうか。つまり、古人にして曰く、『神の賽子』である、と。
 そうなのだろうか? どうなのだろう。果たして、その通りのような気もするし、それとは全然別のような気もする。ああ、纏まらないな纏まらない。
 いっそ寝ようと思って体を横たえても、ふらふらと思考が遊び続けて無為無価値を仮想空間に創出し続ける。つまり、脳の中にいらない考え事がランダムに沸いては連結しようと暴れまわっているだけなのだが。
 そう。これはあれだ。
 端的に言って、「落ち着かない」。

 感覚的な言葉に依存するなら、これがこの状態を示す最適な言葉である。





 ロア短編 ――――車輪の夢







 ――ケースナンバー 6. サンプルパターン 27 - ex.
 要素不明因子不全の因果内永久駆動型跳躍生命の模型。
 空へ臨む。魂の飛躍。転生の秘薬。輪廻の無視。螺旋の侵食。蛇の雛。無限循環永久機関。
 すなわち、――メビウス。



「――ん? どうした、バルダムヨォン」
「……いえ、なんでもありません、ナルバレック」
「そうか」
 ――揺れる馬車。
 車窓に流れる雑多な木々を眺めていた彼女が、不意にこちらに言葉を投げた。その声に現実へと戻されながら、溜め息をついた。窓枠についた肘がじんと痛む。くたびれた赤い長椅子は繰り返し揺れながら私たちを目的地へと運んでいる。
 その、馬車は走る故に馬車であり、運ぶ故に馬車であるという当然さと必然性を、不意に羨ましいと思ってしまった。
 ……こんなところにさえ擬似的な永遠がある。
 永遠。それは私にとって求めるモノである。先の思考迷走にしろこの馬車にしろ、車輪が回り続けるなら、箱は当然中身を運び続けるのであろう。そこにはただ当たり前のものとして、不完全な永遠があった。歯車。車輪。古くから伝わるカードにも一つあったではないか。曰く、wheel of fortune.
 エネルギーの等価交換という絶対条件の足枷。本物に至りたいなら、そこを抜け出さなければならない――。
 苦い。だから、ただ笑った。
「またか。どうしたんだ、いったい。夢の追いすぎでとうとう現実さえ忘れたか? 一人笑いなど真性の狂人か狂人と思い込んだ常人か、或いは諦めてくたびれた凡人しかしないことだ」
「真逆。私はまだまだ狂人でもその成り損ないでもありませんよ。諦めてもいない。――ただ、これこそ確かに現行世界であり、現実なのだと思っただけです」
「なんだそれは。今更そんなことに気付いたのか」
「ええ、今更気付きました」
 目の前の冷たい色をした瞳が呆れに染まった。軽い溜め息をこちらに送って、視線はまた車窓へと向かう。その横顔が、そろそろ諦めなさいと物語っていた。

 ――すみません、ナルバレック。私には、私がある。

 誰にも聞こえぬほど幽かに、私はそう呟いていた。
 彼女の横顔は変わらない。ただその透き通るように冷たい瞳が一度、瞬きをした。
 互いの想いは幻にも満たぬ幽明。
 それはきっと、廻る車輪の音に消し潰される――。



<了>



 あとがき:
 短編というよりも掌編ですね。書き物のリハビリも兼ねて、以前日記にアップしたものを改稿しました。
 ナルバレックとバルダムヨォン。二人の日常。不意に紛れる想いはノイズにも成らず、ただ流れて消えるだけです。



 岩蛍

 2005/05/26 (初稿)
 2005/11/19 (改稿)

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